インターネット定点観測記

駄文、創作、日記など

働くことについてのはなし。

 週明けから、ずっと頭が痛い。別に熱があるわけでもないただの偏頭痛なのだけれど、これが結構、心身ともに衰弱してしまっています。仕事を休んで寝てばかりなんですが、一向によくなる気配がありません。いい加減横になっているのが辛くなって来たので、以前のチラシの裏アドベントカレンダーで書ききれなかった就職活動についてのチラシの裏の続きを書こうと思います。

 僕は新卒枠で就職しなかったので、一般的な"就職活動"というものに一切無縁でした。だけど、以前の記事で書いたように職場を何度か転々としていて、人よりも"就職活動"の経験は多いです。4年目にしてすでに3つの職場を渡り歩いて来ています。1年に1回のペースで転職しているいわゆるジョブホッパーというやつですね。

 ここでは、僕の考える"意識の低い就活メソッド"について、ちょっとまとめてみようと思います。

(この記事に書かれていることはあくまで僕の個人的な見解に基づくものであり、広く一般的な考え方ではないということをご留意ください。)

働くことは偉いことでもなんでもない

 労働に対する僕のスタンスなんですが、「働くことは全く偉いことでもない。むしろ働かない方が人間にとって良い状態。」という考え方を持っています。この考え方は森博嗣著の「『やりがいのある仕事』という幻想」という本に強く影響を受けています。僕が仕事で心身を壊した時に、この本を読んで非常に感銘を受けたので労働に対するバイブルとなっています。

 この本の中で、森博嗣は一般的な労働に対する価値観を盛大にけなしていて、当時なぜこんなに辛い思いをしてまで働かなければいけないのだろうと考えていた自分はとても勇気付けられました。

 話を戻します。人間は働くことによって疲れるし、不健康になるし、楽しくない思いをたくさんしますよね。働きすぎることによって鬱にもなるし、死ぬことだってあります。これは元々、「労働は人間にとって向いていない」っていうことを示唆していると思うんです。それなのに、世間一般的には「仕事は大事」「働かなければいけない」「労働こそ美徳」だのなんだのと謳う。僕はこれは断じて間違っていると思います。働くことは別に偉いことでもなんでもないし、そう言っているのは「働いている苦労」を誰かに見せつけたいだけの幼稚な言説(いわゆる労働マウント)だと思うのです。ただ働かないことの唯一の問題点は、「お金が稼げなくなる」という点だけに尽きると思うのです。だから、嫌々でも働かなければならない、人間にとって不利益なことを我々は強いられているんだと、僕は思うのです。

新卒採用自体がナンセンス

 さて「労働は人間にとって向いていない」というところからスタートすると、新卒採用でよくあるような、「自己分析」や「職業診断」みたいなの。あれすっっっっっごくナンセンスだと思いませんか。あなたがどの職業に向いているか向いていないか以前に、人間が労働に向いていないのだから当たり前ですよね。あと新卒採用でよくある集団面接とか自己PRとかグループ討論とかSPIとかああいうの。あれ全くもって仕事において関係ないです。なんかああいうのも対策本とか出回っていて、こう答えるべきとか、こうすべきとかマニュアル化されていてもう見るだけで本当うんざりしてきます。

 就活生の多くは大学生、まだ学生です。なぜ就活生自身が無理にその会社の枠にはめようとしなければいけないのか。ただでさえ労働は人間に向いてないんですよ。それに加えて自分を抑制してその会社によく見えるように振舞って、もっと辛い思いをしなければいけないんですか。対策?ルール?そんなの知らねーよ。そんなの対策するくらいだったら、本文である勉学に励んで何か成果なり実績を挙げるなり自分自身のやりたいことを探求するなり、学生でしかできない有意義なことがたくさんあるじゃないですか。それで評価してもらう方がよっぽど良いですよ。

 就職活動はただのマッチングです。その就活生と企業のマッチング。お見合いみたいなものです。就活生はこういうことで働きたい。企業はこういう人に来て欲しい。この2つのニーズのマッチングでしかありません。それなのに、多大な労力とコストを就活生に払わせているのに全くもって納得が行きません。就活生自身が心身共に疲弊していくのはおかしいってはっきりと断言します。

 とまあただの愚痴になったのでこの辺で。こんな感じで、すごくすごくすごく文句があるわけです。ちなみに、諸悪の根源である某企業の本社はシンゴジラのラストシーンで見事に爆破されたので、とてもスカッとしました。よくやった、人類。

 と、新卒採用の仕組み自体が非常にナンセンスなんだって、(少なくとも僕は)思うわけです。

やってみないとわからない

 「自分は何に向いているんだろう」「社会に向いてない自分はどうすれば…」と聞かれても、ほとんどのことは「やってみないと何もわからない」って思います。  例えば自分の話になるんですけど、僕は学生のころ研究が好きでした。昔から好奇心が旺盛で、なんでそうなるんだろうとか、そうなった理由を調べたり実験したりするのが好きでした。だから理系の大学に進学して、化学の研究職につくってことが自分に合っていることなんだとずっと思ってました。そのまま、研究職につくために大学院に進学します。だけれど、結局、半年もたたずに大学院はやめてしまいました。  そのときに思ったのは、その「職業」が自分に向いてるのかどうかなんてやってみないと何もわからないだろうってことです。自分自身にとって、本当に向いているのか向いていないのかなんてことはやってみるまでわかりません。やってみて、研究というものは自分にとっては苦悩と苦難の連続でした。結局、気持ちが折れてしまって大学院をやめました。

 この出来事から、ひとつはっきり言えるのは今までの経験として向いていなかった事実は、これからも向いていないってことです。

やりたくないことを決める

 ここまで当たり前のことを偉そうに書いてしまったのですが、二つの事柄を合わせて考えると戦略が見えてきます。

  • 労働は人間にとって向いていないということ
  • 向いていなかった経験は向いていないという事実だということ

 さて、「労働を少しはましにする戦略」が見えてこないでしょうか。今までやってきた中で、無理だな嫌だな辛いなって思ったことを極力「避けること」です。やりたくないことはやらない。向いていないとわかったことはやらない。それを徹底する。一般化して、なぜそれは自分がやりたくないのかっていうのをはっきりと言語化する。  その上で条件として、譲歩できる部分、今までできていた部分、評価された部分を加味する。そうして職業を定めていくと、少なくとも自分にとって不利益になることで疲弊することは避けられます。

ちなみに自分のやりたくない仕事リストはこんな感じでした。

- 運動・動作が伴う仕事
- パソコンを使わない仕事
- 論理よりも感情が優先される仕事
- 新しい価値観を柔軟に受け入れない仕事
- 「お金、学び、経験」のどれにもつながらない仕事
-  遊び心がない仕事
- 技術職や現場を大事にしない仕事
- わくわくしない仕事
- 自由がない仕事、何かを制限される仕事
- 非効率なことを強いられる仕事
…etc

 こんな感じでいくつも挙げていって、全てクリアすることはあまりないけれど(最後はいくつか妥協して)今の職業につくことを決めました。人生がどう転んでもいいように「嫌なところに転ばない」戦略が必要なんじゃないかなと考えてみたわけですね。いかがでしょうか、意識の低い就活メソッドでした。

最後に

 もちろん「やりたい仕事につく」「得意を生かした仕事につく」っていうことを否定しているわけではありません。そのような職業があるのならば、それに就くことを目標にすることはとても素晴らしいことだと思います。  そういった得意ややりたい仕事という一点突破型ではいつかは疲弊してしまうのもまた事実です。一点突破の意思を持つことはこの”意識の低い就活”メソッドの中でも有効に使われると思います。そのような意思があることはあなたの強みであって、嫌なことをただ挙げているよりも選択肢が広がるはずです。

願わくば多くの人が嫌な思いをせずに働ける日が来ると良いですね。

この5年間のはなし

 この記事は「チラシの裏アドベントカレンダー14日目の記事です。 adventar.org

 最初はこんなゆるっとしたテーマで人集まるのかよ本当に..と主催者ながらに思っていたのですが、蓋を開けてみれば20人超の方々にご参加いただきました。大盛況です。本当に、ありがとうございます。もともと、私は他人のブログを読むのが趣味だったのですが、人様のチラシの裏をこんなにも堪能できることにとても感涙しております。ご参加いただいた方々、改めて感謝いたします。

 さて、本日は1日目、2日目と続いて私の「チラシの裏」なんですけども、チラシの裏なんてそんなに書き溜めておりません。どうしようかなと筆が進まなかったので、自分の過去の日記やブログなどを読み返しておりました。改めて振り返ってみると、この5年くらいの体験がとても乱高下が激しいものだったので、いっちょここで振り返ってまとめてみようかなという気持ちになってきました。どうせチラシの裏ですので、どなたかがご査収していただければそれでよいかなと思った次第でございます。

5年前…

 時を遡ること大学4年生の時。私がどんな学生だったかというと、「大してやりたいこともないし、積極的に働きたくないなぁ」という、典型的な学生でした。その上、自分はそんなに成績もよくもないけど、研究は好きだ!などという根拠のない自身に満ち溢れておりました。若いですね。そうこうしているうちに気づいたら就活も終わっている時期に差し掛かっていたので院に進学することにしました。行き当たりばったりですね。勉強もそこそこで研究もやったこともない学生が、重い腰をあげてようやく真面目に研究を始めたところでうまくいくわけもなく.‥。結果、卒論発表で教授にボロカスに言われました。今思い返せば、このときくらいからおメンの調子がよろしくなかったのではと思います。

 さて、卒業後、研究の辛さとか、教授のパワハラなどもありまして大学院の勉強についていけなくなっていきました。火を見るより明らかとはまさにこのようなことでしょうか。それでは一体どのような状況だったのか。当時の日記を読むと垣間見えます。一部抜粋してみましょう。

早くも院進学したことを後悔してる。こんなこったらもっとちゃんと就活しておけばよかった。理由は幾つかあるんだけど、自分のせいなのと環境のせいが半々くらいかな。それくらい。研究室選び間違えたかなーってのもあるけどそれはまあしょうがない。えらんじゃったもんだし、成績順だし。それはまあいいんだけど、やっぱ自分の適正判断完全にミスった。いつからだろう。「普通に就職するのには向いてない。やっぱ研究とか開発とかのほうが向いてるんだ~」って勝手に思ってた。っつーか思わされてた?ちょっと違うな、思うようにしてた。僕にとってはそれを確信してた。何も考えずに。なんかもうちょっとそれに対して疑問を持つ時間とか合ったと思うんだけど、なんでそこで俺は何も振り返らなかったんだろってくらい後悔してる。今なら確信できるけど、「自分、そういうの向いてない」です。はい。いまさら気づいてしまった。

 めちゃくちゃ暗い日記ですね。後悔してるだの、自分のせいにしているだの、いま思い返せばこのときかなりの抑うつ状態だったのではないかと推測されます。結局、このようなメンタル状態でまともに勉強できるはずもなく、だんだん学校を休みがちになり、その後、院は休学することにしました。

タテマエ

 何も言わずに休学するのもあれだったのでタテマエとして、「公務員試験を受ける」という名目を持って大学を休学することにしました。本気で公務員試験を目指している人、本当にごめんなさい。ニートになってしばらくは、「研究しなくていい!大学に行かなくていい!」という開放感で、大学の友達と朝まで麻雀したり、サークルの縁で謎の自主制作映画を作ったりしてモラトリアムの延長を謳歌するわけですね。まあ活動的だったのも最初のうちだけでしたが。

 ニートをしばらく謳歌したのですが、それもほとぼりが冷めはじめました。徐々に徐々に焦りと不安に襲われるようになります。自分はこのままで本当にいいのか?!将来はどうなるんだ?!公務員は本当にやりたい仕事なのか?!などとやっと自問自答しはじめるわけです。公務員試験の勉強も一応やってはいたのですが、こんなモチベーションでしっかり勉強できるはずもなく。結果、すべて惨敗。そこまできてようやく気づくことになるわけです。自分のやりたいことってなんだろうとか、仕事は何が向いているんだろうとか、好きなこととはとかいう「自我」が芽生え始めたのがこのころだと自覚しています。周りに流され流されをやめて自分の意思を持つことで、スタートラインにようやく立つことができるようになったわけです。

いざ、東京へ

 先に言っておきますが、ここではじめた自己分析・自分の適正などというものはこのあと結局、まったくなんの役にも立ちませんでした。今、こうしてそれなりに普通の環境で働けているのはすべて運だと自分では思っています。まあなぜそう思うかについては後ほど。

 なぜか、この時くらいからスイッチが入ったように活動的になりました。そういう時期だったからなのか、本当にやばいと思い始めたからなのかはわかりませんが。衝動性に突き動かされ、「そうだ東京に行こう」というノリでインターネットを駆使して家賃3万円のシェアハウスを見つけて、東京に住所を移しました。そして、そこで就職活動を始めるという作戦をとることにしたのです。当時の自分のやりたいことはいまの職業とも大学で勉強していたこととも全く違うことで、映像制作関係の仕事に就くことでした。

 そのために、精力的に十数社くらい受けまくったんですが、これももう全落ち。適性がないと言われたり、田舎出身だからだめと言われたりでまあそらそうですよね。よくわからん経験もない人がいきなり来て雇うかっていうの。メンタルもそこそこボコボコになっておりました。こんな日記が残っています。見てみましょう。

既卒2年目○歳職歴無し。いま僕は田舎から東京に出てきて就職活動にきている。お祈りメールは何通もらったか途中から数えなくなった。最終面接から一週間以上連絡のない企業もある。東京に出てきて思ったことがある。何をするにもお金がかかる。移動するにも、歩き疲れて一息つくにも、寝泊まりするのにも。これが資本主義なんだから仕方が無い。街全体が脅迫してくる。金のないやつに生きていく資格なんてないよって。社会全体がプレッシャーを与えてくる。お前に生きてる価値があるのかって。息をするのにも何をするにもお金がかかる。僕が世間知らずの大馬鹿だって気づいた。僕は情けない。街全体が脅迫してくる。お前は生きていく価値がないよって。何も生産しない稼げないやつは必要ないよって。

 もういまにも死にそうな文章が残っています。かなりキテますね…(思い出して辛くなってきた)精力的に活動したあとだからなのか、この時期はこんなナーバスな日記がひたすらつづいておりました。

入った会社の色

 さてそんなこんなで、東京という街に打ちひしがれていたのですが、光明が差し込みます。なんと内定がもらえたわけです。それも自分がやりたかった映像制作系の会社!ただ給料は本当低い。東京でやっていくのにも限界のレベル。だけど憧れの映像制作の業界で働ける!家賃はシェアハウスだからなんとかなる!やったぜという気持ちですべてが報われる気持ちになっていったんですね。その時は‥。

 まあ蓋を開けてみればよくある話らしいのですが、その会社の映像制作部というものは名義だけが存在してて実質社長のワンマンで成り立っている部署でした。当然、私がやる仕事はありません。そして、結局色々な部署をたらい回しにされた挙句、そこではじめてやった仕事がIT系のお仕事だったわけです。こちとら映像制作の仕事をやれると楽しみにしていたのですが!ですが!!普通に騙された形でやりたくもない仕事をやらされるのか‥と思いました。

 思った!!んですけど‥。これ、やってみるとIT系のお仕事、すごく楽しいんですよね。当たり前です、こちとら20代前半にしてすでにインターネット15年選手ですよ。ダイヤルアップやテレホーダイの時代からインターネットはやってました。IPやPortの概念なんて中学生で覚えましたし、LinuxなんてPCの数だけインストールしてるんでそりゃやれることはできるにきまってるじゃないですか!!(無限のイキリが発生する)

 というわけで、このときにはじめて自分の適正がわかりIT系エンジニアとして覚醒することになりました。

 ただ、この部署、薄々感づいている方もいらっしゃると思うのですが激ブラックでした。12時間勤務は当たり前で残業代なし、ほぼ休み無し、夜勤もたまにあるってことでいくら若いだけが取り柄の自分でもみるみるうちににガタがきてしまいます。なぞの胸痛、不眠、不意に訪れる発汗、眠れぬ日々…。病院に行くと体には不調がないみたいだから、とメンタルクリニックを紹介されました。ようやくこの時、はじめてメンタルクリニックを受診することにしたのです。結果、「自律神経失調症」と「うつ病」という診断をもらうことになりました。よかったよかった。

療養&再就職

 その後、病気は療養をし、なんとか寛解するに至ってはいます。そんなこともありましたが、やっぱりITを仕事にしたいという思いがあったので、ITエンジニアを続けています。最初の会社から、何度か転職もした(これについても話すと長い)のですが、この仕事自体はとても好きですし、少しづつですが経験も積めていっています。そしていまはそこそこ待遇もよく、病気に理解のある一般企業に務めることができております。本当によかった。

 いまこうして振り返ってみると、行き当たりばったりすぎて自分自身、ただ運が良かったのだなという思いもあります。第三者がみて参考になるかどうかなんてわかりません。だけど、この経験から得られたことも数多くあって、知見もあります。これはいつか「チラシの裏」でないときにまとめていきたいなあという気持ちです。(これはいつかの宿題としておこう)

 願わくば、私の一例ではあるのですが、こんな話もあるよっという事例がお役に立つことができれば幸いです。  本当に長いけれど、チラシの裏失礼しました

くだらない話と二十歳の話

adventar.org

 この記事はチラシの裏 Advent Calendar 2017の2日目の記事になります。

 

チラシの裏アドベントカレンダー2日目に寄せて

 昨日の夜に記事を書き上げたんだけど、今日の朝方に改めて読み返すといろいろと恥ずかしい気持ちになってきた。でもまぁ、この企画はそういう誰にあてるでもない文章を供養したりなんだりすることを目的にしていたし、何よりチラシの裏だし、まぁいいかなと思って今に至る。というわけで、2日目。

 

くだらない話

 くだらない話が好きだ。愚にもつかないくだらない話。知ったところで明日まったく役に立たないくだらない話。誰にも何も与えず、その場に流されてしまうだけのくだらない話。最後に彼女に話したくだらない話はなんだっけ。

 そうだ、思い出した。くまの話だ。街の工事現場の何気ないくまのキャラクター。僕と彼女は歩きながら、そのクマの看板を見た。
そのクマは、工事用の黄色いヘルメットを被っていて、その先になにかとんがったアンテナみたいなのが刺さっていた。横にいた彼女はそれを見て「変なクマのキャラクターだね。」と言う。

「あのアンテナはクマの頭に刺さっていて、
どこかからラジコンで操作されているんだ。
あの屈託もなく笑った顔はつくられたものなんだと思う。」って呟いてみた。彼女がその時、今日はじめて笑った。

 「どんな人生の選択だって、良いか悪いかなんて誰にも分からないんだからさ。”決めた”人にしか幸せはやってこないと思うんだよね。あのクマは自由に選べず、誰かの意思で操られているんだ。それにくらべたら、あなたはまだ"決める"ことができる。悩んだり、考えたりできるのは人間だけ、生きてるってことなんだよ。だからゆっくり考えて、自分で決めなよ。」

「あなたとの関係がわからなくなった」と僕に告げた彼女に、かけるべき言葉はこれでよかったのだろうか。この言葉に自分の本心が宿っていたのかどうかなんて、いまとなってはわからないんだけど。

 ひょっとしたら、誰かに操られて自分の意思を押し殺して、笑っていたのは、僕自身なのかも。あの妄想のクマみたいに。彼女を駅まで送り改札まで見届けて、ありがとうと告げた。結局、彼女とは以来、会っていない。これが最後のくだらない話。

 

感想

 いや、まぁエモい気分になってくるとこういう小説とも言えない何かを生み出しては、消したり非公開にしたりする。これは多分なんかあったときにわ~と書いた文章なんだろうけど、おそらくフィクションだと思う。多分。ここに供養します。

 

20歳の頃の話(2010年頃)

  さて、そんなこんなで さよなら10代、こんにちは20歳。してしまいました。10年前に10歳になったときは「あー、まだ俺10年しか生きてねーのか。人生長げえ…」なんて思ったもんですが、 あれから10年…って考えると随分早く時は過ぎるものですね。
帰って来い、青春。カムバック、ブルースプリング。
  これから30歳、40歳とあっという間にすぎていくんでしょうか。 貫禄ある歳のとり方をしていきたいです。 最近、高校生が眩しく見えすぎるのはあれか、精神的に老けてるからなのかな。

  20代。これからやりたいことはまだまだたくさんあります。スキューバダイビングしたいし、パラグライダーに乗ってみたいし、ロケット飛ばしたいし、写真撮って回りたいし、自転車で四国一周したいし、沖縄にいきたい、都会に住んでみたいし、たくさん本を読みたい、楽器をひけるようになりたいし、買い物もいっぱいしたいし、友達増やしたいし、英語や外国語も身につけたいし、ドイツやフランスに行ってみたいし、一人暮らししたいし…。
  やりたいことが多すぎるけど、 大学生のうちにどれかひとつでも消化できればいいな。この20年間たくさんの人にお世話になったので これから少しでもその恩を返していけますように、と思ってます。 20歳の抱負としてこれからは「貫禄ある大人」を目指して励んでいきたい所存でございます。

  10年後、20年後、「オジサン」じゃなくて少なくとも「オジサマ」と呼ばれるくらい素敵な大人になれますように!

 

感想

 今回の企画のために、いまはまったく稼働していない当時はやっていたmixiを漁っていたらでてきた文章です。一番の恥ずかしさ。

 改めて読み直すと調子乗って人生楽しそうでいいなぁという感想しか出てこない。これからひどい目に合うのにね。

 ここに書いてあることはかろうじて都会に住むってことしか達成されてないし、スカイダイビングやパラグライダーやりたいなんてまっっっっっっったく思ってないんですが、どうだったんでしょう、昔の自分。色々と突っ込みたいことはあるけれど、ここに供養します。お目汚し失礼しました。

 

明日は

 というわけで、僕のチラシの裏でした。めちゃくちゃ恥ずかしいけれどがんばりました。

 明日はフランチェスカ(@fgtmenot)さんですね。やっていきましょう。

移動の話と去年のクリスマスの話

adventar.orgこの記事はチラシの裏 Advent Calendar 2017の1日目の記事になります。  

チラシの裏アドベントカレンダーに寄せて

 アドベントカレンダーとは12/1 ~ 12/24までの間、参加者同士でブログを書いて繋げるリレーブログ企画です。で、あえてこのテーマにしたのはなんとなく、みなさんの書いている駄文を読みたいなという気持ちになったからです。(駄文というと失礼ですけども)普段、そこそこ人のブログを読むのが趣味なんですが、ブログに現れるような何気ない日常とか思っていることとか、誰に宛てたものでもない文章を読むのは僕にとってとても心地が良いのです。その度に人の世は多様だなと思います。というわけで、そんなブログが毎日並んだら楽しいのではないかなと思いこの企画を始めた次第でございます。ご参加いただいた方々改めてありがとうございます。

 というわけなんですけども、自分の『チラシの裏』なんですがいくつかあるので、紹介していきます。いつ書いたかもよくわからない、PCの奥底に眠っている謎のテキストをいくつか取り上げて、恥ずかしさを今年の中でなんとか振り払っていきます。

移動についてのこと : 2015年頃に書いたはず

 まず電車で行く旅の良さなんだけど、自分の生活圏から徐々に知らない土地にうつっていくあの感覚がすごくいい。自分の地元の駅、普段使ってる生活圏から離れていくと、知らない土地や人が生活しているわけで。あたりまえなんだけど。

 朝方、学校に行く高校生、仕事に向かうサラリーマン。全く知らない土地だけど、そこに生活している人は確かにいるわけで、その自分の知ってる世界と知らない世界が徐々に溶け合う感覚、不思議な感覚。自分は非日常なのに、そこにいる人は普通に生活しているあのなんとなくな違和感がすごく良い。

 今回の旅もあえて、横浜駅から熱海駅まで、熱海から静岡、静岡から目的地の愛名へと乗り継ぎ乗り継ぎ、徐々に都市圏から離れていった。駅を乗り継ぐ間で色々な、そこで生活をしている人を垣間見れてすごく楽しい時間が過ごした。

 あえて"移動"って書いたのは、夜行バスも好きだから。知らない土地の知らないパーキングエリアに投げ出された時は本当に(良い意味での)胸騒ぎがするし、普段は絶対食べない自販機のポテトフライのうまさ。あれは本当に錯覚だとわかっていてもうまいよね。あの味のためなら、多少隣のおやじのいびきがうるさくても、消灯後にカップルがいちゃこらしてようが、誰かの不意に出た屁の臭いなんてのも耐えられる。

 そして早朝に目的地について、街が動き出すまでの一時、あてもなくとぼとぼ歩くのなんて最高に気持ちがいい。朝の空気感、鳥の鳴き声とか。そして一番は移動している間は何をしても許される。寝てようが、本を読んでようが、ゲームしてようが何をしていても誰からも咎められることもないし、多少、大口あけて大爆睡をかましてもどうせ周りは知らない人ばかりだ。旅の恥はかき捨て。ぼーっとしていても、僕はいま移動というものに全てを捧げているから、これは無駄な時間ではないんだ…と思える。自分に言い聞かせられる。自分では自分のことを意固地でけち臭い性格だと思ってるからか理由もないぼーっとは嫌い。だけど、移動中のぼーっとは意味があるし。

 意味のない時間を有意義にするためにも、”移動”をオススメしていきたい。

感想

 上の文章いつ書いたか本当に思い出せない。ずっとパソコンの奥底に眠ってあった。どうやら静岡まで行ったとのことなので、2015年くらいだと思われる。今でも旅行ならぬ”移動”は好きだし、意味もなく山手線ぐるぐるしたりもよくやってる。

 

クリスマスの話(去年の年末くらい)

 なんだか、ここ数年で一番つらいクリスマスを過ごしてしまった。別にそこまで恋人と一緒に過ごしたいというわけでもないし、ただまあクリスマスにはあそこへ行こうねっていう話をしていた矢先に振られたのは、それはそれでここ数年の中でも割りとツライほうなんだけど。

 そうじゃなくて、23日の会社の忘年会のあとに財布をなくした。もちろんクレジットカードとキャッシュカードも同時に紛失。この瞬間、僕はポケットの中にかろうじて紛れ込んでいた300円でこの3連休を過ごさないといけないはめになってしまった。

 もちろん、なくした僕が悪いのだけれど。けれど。クリスマス・イヴの日は昨日行った店を回り、警察を周り、鉄道会社を周り。随分ぐるぐると歩いたものだ。三連休の初日ということもあり、街中はカップルやらなんやらが押し寄せいてなかなか寒さ以上に身にしみた。ふと、後ろ姿が別れた彼女と似ている女性に目にすると、胸がヒュンッとなった。

 「他に好きな人がいる」って言ったくらいだから、僕をフッたあとはその他の人のもとに行き、今頃は楽しくイルミネーションみたり食事したりお酒飲んだりしてるんだろうな、幸せなんだろうなって思った瞬間にもうだめだった。考えたらだめなのに。思ったらだめになるってわかっているのに。かたやこっちは300円である。300円男である。惨めだった。惨めすぎた。

 その後は家に帰ってひたすらベッドに横になって耐えしんだ。悶ていた。堪えていた。いろんなことが積み重なってまだ大丈夫、大丈夫だって思ってたけれど、最後のひと押しで全部崩れてしまった。

 ここまで書いたあと、結局恋人の話やん!って思ったけど、突っ込んだら負けです。 来年こそは強く生きよう。

 

感想

 昨年のクリスマスの話を日記に書いたのだけど、恥ずかしくてずっと非公開にしてたものを供養します。まあ、これに増すほどひどいクリスマスはもうないだろうし、これからもないことを祈っている。

と、いうわけで明日も僕なのでもうちょっと非公開にしていた記事を供養させてください。続きます。

世界は終わらないし、大人にもなれなかった話

 村上春樹にまつわる話をふと思い出したので書いてみる。

 村上春樹という作家が特に好きというわけではないけれど、その作品に対しては妙な思い出があったりする。初めて読んだ作品は「海辺のカフカ」で確か小学5年生のころで、確か病室のベッドの上だった。小児喘息が酷い子供だったので、毎年10月から12月にかけて発作が起きて、そのまま病院に1ヶ月ほど入院してしまうことが毎年の恒例。入院生活は、暇で暇でしょうがなくて、しかたなく病院の本棚から拝借して読んだのが、たしかこの本だったと思う。特に読後感はふうんって感じで、いまとなっては物語の細部もよく覚えていない。

 その後は高校2年生のとき。「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」。これもなぜか病院で読んでいた。でも違ったのは、自分の病気で入院していたわけではなく、その時には末期の癌だった祖母の病室だった。末期癌だって知ったのは、祖母が亡くなってしまった後で、その時はただの慢性的な病気だとしか知らされてなかった。

 祖母は、祖父にあたる人とはずいぶん昔に離縁している。僕は祖父にあたる人とは会ったことがない。小さかった僕と妹の面倒を見るために、隣県の田舎から身一つで僕ら家族が住む街へと越してきた。実家に身を寄せるでもなく、近くの市営アパートに住み、働くのが好きで、年金で暮らせる歳なのにわざわざデパートの惣菜屋さんのパートにすすんで働きに出るほど。昔から優しくて、怒られたことは滅多にない。家庭環境で相当苦労したであろうのに、そんな素振りも一切、見せない気丈で元気な人だった。

 そんな祖母が入院したと聞き、病院へお見舞いに行くと、病気を知らされていない僕から見ても明らかに、衰弱していた。つい最近まで祖母は、病気なんてどこ吹く風で、普通の生活をしていたのに。

 祖母の身体にはたくさんの点滴が繋がれていて、痩せ細り、体を起こすのさえ苦労していた。僕は、そんな姿を見たくなかったのか、それともまたすぐ元気になると思い込んでいたのか。御見舞で病室にいる間、2、3言、言葉を交わして、その後は話すでもなく、祖母のそばでずっと本を読んでいた。

 祖母が入院している病院は、通っている高校から橋を超えたすぐ近くにあって、行こうと思えばすぐに行ける距離だ。それなのに、祖母が入院している間に、御見舞に行ったのは、病室で本を読んだ1回と亡くなるその日の2回だけだった。1回目の御見舞の帰り際に言った言葉はいまでも覚えている。「近いからまた来るよ」って確かにはっきり言った。結局、意識のあった祖母に語りかけた言葉はそれが最後になってしまった。

 祖母が危篤だと連絡が入ったのはそれから一週間くらい後の早朝だった。病室に行ったときには意識も朦朧としていて、誰が御見舞に来たのかすらもよくわかっていない様子だった。ただ、危篤だったものの峠は超えたらしく、いまは落ち着いて安静な状態ということで、祖母の周りには入れ替わり立ち代わり兄妹たちや、家族、孫たちが入ってきては、思い出ばなしを語りかけている。病室から廊下まで、たくさんの親族がいて誰が誰かもよくわからない。テレビや映画しかでしか見たことない機械がたくさん並んでいて、初めて心電図が音を立てているところを間近にみた。

 そんなときでさえ、その姿を横目に見ながら隣のベッドのすみの死角を見つけて、上巻を読み終えて下巻に差し掛かった「ハードボイルド・ワンダーランド」を読んでいた。読んでいた、というよりは文字を追っていただけだったと思う。初めて遭遇する人の死の間際という現実を直視していたくなくて、自身の、または祖母の置かれている状況を飲み込もうともせず、ずっと本の文字を追っていた。

 結局、祖母はその日の夕方に息を引き取った。

 その日から朝まで、通夜の間中、葬式が終わるまでの間もずっとひたすらに、文字を追っていた。だけども、やっぱり内容は頭に入ってこない。同じページばかりに目をやって、また頭からそのページを読み直す。現実を受け入れられていなかったのか、それとも平静でいられる手段がそれしかなかったのか、淡々と進行する単なる儀式的なものに対する反抗心だったのか、なんでそんな行為をしていたのかは今となってはよく覚えていない。だけど、ずっと大人が羨ましいなという思いをすごく感じていた。お酒を飲んで、泣いて、祖母の思い出ばなしをしている。大人はそうして受け止めて、消化していけばいいんだろうけど、当時の自分にはどうして受け止めていいのか、どうやって悲しんでいいのかがわからなかった。人が死ぬってことがよくわからなかった。泣くでもなく、悲しむでもなく、本を読むという行為に執着して現実から逃避をしていた。結局、その本は最期まで読むことができなかった。

 それから月日が経っても、なぜか本は未読のまま、鞄の内ポケットに入っていた。気が向いたときにパラパラとめくる程度だけで、大事にずっとそのままだった。読み終わってしまうと、祖母が亡くなったってことを受け入れてしまった、という自分が怖かったのかも。祖母のいない日常に慣れてしまった、という事実が寂しくて、自分だけでも何か関わりが欲しかったのかもしれない。

 2年経って、大学に進学しても鞄には、持ち歩きすぎてぼろぼろになったこの本がまだ入ってた。それからしばらく経って、ようやく読み終えることができた。1つの作品をこれだけの長い時間をかけて読んだのは、この本が初めてだし最後だと思う。

 読み終わった後、この本を鞄に入れていく理由がなくなったことに気づいて、すこし寂しくなった。

感謝主義社会とお気持ち消費社会

 友人が僕のつぶやきに対して色々と言及してくれた。ことの発端は以下の僕の何気ないつぶやきだった。

 んで、これに対して友人(その人のアイコンが鳥なので鳥さんとよく読んでいる)はこんなブログを書いてくれた。

 

www.fgtmenot.site

 

 おお、なんかすごく色々と言及してくれている!とても嬉しい。という訳で、普段、文章を書くのが苦手なので、このような記事を書いてみるに至ったのである。という訳です。鳥さん、文章を書いてくれて、そして本気で考えてくれてありがとう。感謝しております。念のため言っておきますが、私は怒りとかそういう感情は一切ないので安心して読み進んでいただければ。

 

経済の寓話の話

 どうしてこんなこと自分でも呟いたんだっけなっていうのを自分でも振り返って考えてみる。

 スマホ版「どうぶつの森」は、村人のお願いをきく -> それを達成する -> お礼にお金をもらうというサイクルでゲームが回っていく。単純にそのわかりやすさが心地よいなって思ったんですよね。僕は、経済的に貨幣が行き来することは幸福度をあげることに繋がると思うんです。どういうことかっていうと、

 例えば、AさんとBさん2人しかいない星があったとして。そこに貨幣があったとして。Aさんは住む家が欲しいと思って、Bさんにお願いして二人で家を作ります。Aさんはそのお礼にBさんに貨幣をあげます。Bさんも住むところが欲しいので、Aさんにお願いして二人で家を作ります。今度はBさんがAさんに貨幣をあげます。

 この話で、貨幣が行き来した分だけお互いに自分が実現したいこと(≒幸せ)になっていっているんですよね。貨幣が通過すれば、それは誰かが幸せになったってことなんです。お金の行き交いにはこういう意味があるんですよね。こういう寓話をふと『どうぶつの森』をプレイしながら思い出した訳です。

 経済のことは詳しくはわからないんですけど、資本主義って何かの価値を貨幣の対価に置換可能な社会だと思うんですよね。(『何か』には物とか何かの行為だったりします)僕が言いたかったのは、その「何かの価値」を通じて得た感情や感謝みたいなものも対価に含まれるようになればいいし、その感情自体も対価に換算すべきだって思うんです。

 

世の中のお気持ち

 結局、この話は僕の世の中に対して曖昧に持っている「お気持ち」に対する嫌悪感みたいなものに繋がります。感情論やその場の全体を支配する空気感、雰囲気、オトナの事情…そう言った言外のコミュニケーションというものに昔から随分と嫌悪がありました。

 僕は他人の気持ちなんてわからない。他人がどう思っているのか、考えているのかなんて人間が推し量ることは不可能だと思ってます。自分がどのように自分を思われているかを考えたり、ましてや感情や考えを言葉という不確かなものに託したり、それを表現するのってとてもとても難しいことではないでしょうか。

この辺は鳥さんがブログの中で的確にご指摘いただいてました

彼らは、今の社会の「曖昧さ」「不当さ」に疲弊しているのだろう。「役に立たない感謝と引き替えに労力を搾取されている」「正当な対価が支払われていない」しかし、「何が『正当』で、引き替えに何を求めればよいのかわからない」。そんな思いが募って、冒頭のツイートが迸り出たのではないだろうか。

まさにその通りです。感服。

 

 だから、僕が冒頭のツイートの言葉を正しくするなら、「感情が正当にお金に変換される社会」という感じでしょうか。ただ一つ誤解されたくないのは、感謝が得られてる人が偉いとか、人間として徳が高いみたいなそういうマウントがしたい訳ではないです。単純に今は「お気持ち」として消費されている事象をお金を貰う、与える機会にして、お金を回す機会がもっと増やせればいいなって思うんです。

 そうなったら、職業をつくためにあーだこーだ自分と向き合って分析したり、自分が何をしたいのかっていう悩みを抱えている人にとってはずっと楽なんじゃないかなと思うんです。それで得たお金で最終的に自分がやりたいことに繋がればいいな、と思うんですよね。

 という、まあ結局、ここに書いたのは鳥さんが書いてくれた記事の補足でしかなくて、推察?に関してはほぼほぼその通りなので、よくまあここまで 見通してくれたな、僕ってわかりやすいのかな、というのが感想であります。

 

 ただ一点だけ。一部誤解されそうな部分があったので、弁解させていただくけどw

 

個人的な話になるが、ツイートの主は親切な方だ。私も色々とIT系の設定を教わったりしている。また、低収入or無職の集団の中で比較的「お金のある年長者」として金品を集られているところもよく見かける。私もこの間お茶を飲ませてもらった。

 

 これはまあ僕自身が感謝や感情をうまく伝えることが苦手だったりするし、その「感謝のお気持ち」自体が苦手な訳なので、自分なりに感謝を貨幣に変える社会を実践しようとしている結果ですね。なので、まあそういうことです。

 

やっていきましょう。

 

 

思ったこと、考えたこと

 なぜだかいつも衝動的に文章を書きたくなることがある。それは真夏の涼夜だったり、秋晴れの昼下がりだったり、寒さで人恋しい冬だったりするわけだけども、残念ながら今日はそのどれでもない。僕は今、閉店間際のサイゼリアでこれを書いているし、300円くらいのデキャンタ赤ワインを三分の一ほど飲み干してほろ酔いの良い気分に、タバコをふかしながらこれを書いている。よい、よい。

 目の前の老夫婦が会話に華を咲かしている。隣のくたびれたサラリーマンが僕と同じように一人で酒を飲んでいる。退屈そうな大学生が三人で何をするわけではなくスマートフォンをいじっている。この空間のなんともいえない気だるさが僕にはとても居心地がよい。

 こうして、ぼうっとしていると自分は何者なのだろうかとか、どうやって生きていけばいいのだろうかとか、明日はどうしようか、なんてそんなくだらないことに頭を悩ませなくなる。安ワインが身体に流し込まれ通過するだけで今この瞬間は幸せになれる。頭も働かず、ただこうして駄文を垂れ流すだけの非生産的な僕でも、かんたんに幸せな気持ちになれる。かんたん、幸せになるのはとてもかんたんだった。

 とかなんとか言ってたら、酒が底をついた。僕の幸せな時間はもう終わり。ジャケットを着て明日のために家に帰ろう。家に帰ってゆっくり寝よう。そうしてまた夜になれば酒を流し込もう。少しづつ少しづつ。