働くことについてのはなし。
週明けから、ずっと頭が痛い。別に熱があるわけでもないただの偏頭痛なのだけれど、これが結構、心身ともに衰弱してしまっています。仕事を休んで寝てばかりなんですが、一向によくなる気配がありません。いい加減横になっているのが辛くなって来たので、以前のチラシの裏アドベントカレンダーで書ききれなかった就職活動についてのチラシの裏の続きを書こうと思います。
僕は新卒枠で就職しなかったので、一般的な"就職活動"というものに一切無縁でした。だけど、以前の記事で書いたように職場を何度か転々としていて、人よりも"就職活動"の経験は多いです。4年目にしてすでに3つの職場を渡り歩いて来ています。1年に1回のペースで転職しているいわゆるジョブホッパーというやつですね。
ここでは、僕の考える"意識の低い就活メソッド"について、ちょっとまとめてみようと思います。
(この記事に書かれていることはあくまで僕の個人的な見解に基づくものであり、広く一般的な考え方ではないということをご留意ください。)
働くことは偉いことでもなんでもない
労働に対する僕のスタンスなんですが、「働くことは全く偉いことでもない。むしろ働かない方が人間にとって良い状態。」という考え方を持っています。この考え方は森博嗣著の「『やりがいのある仕事』という幻想」という本に強く影響を受けています。僕が仕事で心身を壊した時に、この本を読んで非常に感銘を受けたので労働に対するバイブルとなっています。
- 作者: 森博嗣
- 出版社/メーカー: 朝日新聞出版
- 発売日: 2013/05/10
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この本の中で、森博嗣は一般的な労働に対する価値観を盛大にけなしていて、当時なぜこんなに辛い思いをしてまで働かなければいけないのだろうと考えていた自分はとても勇気付けられました。
話を戻します。人間は働くことによって疲れるし、不健康になるし、楽しくない思いをたくさんしますよね。働きすぎることによって鬱にもなるし、死ぬことだってあります。これは元々、「労働は人間にとって向いていない」っていうことを示唆していると思うんです。それなのに、世間一般的には「仕事は大事」「働かなければいけない」「労働こそ美徳」だのなんだのと謳う。僕はこれは断じて間違っていると思います。働くことは別に偉いことでもなんでもないし、そう言っているのは「働いている苦労」を誰かに見せつけたいだけの幼稚な言説(いわゆる労働マウント)だと思うのです。ただ働かないことの唯一の問題点は、「お金が稼げなくなる」という点だけに尽きると思うのです。だから、嫌々でも働かなければならない、人間にとって不利益なことを我々は強いられているんだと、僕は思うのです。
新卒採用自体がナンセンス
さて「労働は人間にとって向いていない」というところからスタートすると、新卒採用でよくあるような、「自己分析」や「職業診断」みたいなの。あれすっっっっっごくナンセンスだと思いませんか。あなたがどの職業に向いているか向いていないか以前に、人間が労働に向いていないのだから当たり前ですよね。あと新卒採用でよくある集団面接とか自己PRとかグループ討論とかSPIとかああいうの。あれ全くもって仕事において関係ないです。なんかああいうのも対策本とか出回っていて、こう答えるべきとか、こうすべきとかマニュアル化されていてもう見るだけで本当うんざりしてきます。
就活生の多くは大学生、まだ学生です。なぜ就活生自身が無理にその会社の枠にはめようとしなければいけないのか。ただでさえ労働は人間に向いてないんですよ。それに加えて自分を抑制してその会社によく見えるように振舞って、もっと辛い思いをしなければいけないんですか。対策?ルール?そんなの知らねーよ。そんなの対策するくらいだったら、本文である勉学に励んで何か成果なり実績を挙げるなり自分自身のやりたいことを探求するなり、学生でしかできない有意義なことがたくさんあるじゃないですか。それで評価してもらう方がよっぽど良いですよ。
就職活動はただのマッチングです。その就活生と企業のマッチング。お見合いみたいなものです。就活生はこういうことで働きたい。企業はこういう人に来て欲しい。この2つのニーズのマッチングでしかありません。それなのに、多大な労力とコストを就活生に払わせているのに全くもって納得が行きません。就活生自身が心身共に疲弊していくのはおかしいってはっきりと断言します。
とまあただの愚痴になったのでこの辺で。こんな感じで、すごくすごくすごく文句があるわけです。ちなみに、諸悪の根源である某企業の本社はシンゴジラのラストシーンで見事に爆破されたので、とてもスカッとしました。よくやった、人類。
と、新卒採用の仕組み自体が非常にナンセンスなんだって、(少なくとも僕は)思うわけです。
やってみないとわからない
「自分は何に向いているんだろう」「社会に向いてない自分はどうすれば…」と聞かれても、ほとんどのことは「やってみないと何もわからない」って思います。 例えば自分の話になるんですけど、僕は学生のころ研究が好きでした。昔から好奇心が旺盛で、なんでそうなるんだろうとか、そうなった理由を調べたり実験したりするのが好きでした。だから理系の大学に進学して、化学の研究職につくってことが自分に合っていることなんだとずっと思ってました。そのまま、研究職につくために大学院に進学します。だけれど、結局、半年もたたずに大学院はやめてしまいました。 そのときに思ったのは、その「職業」が自分に向いてるのかどうかなんてやってみないと何もわからないだろうってことです。自分自身にとって、本当に向いているのか向いていないのかなんてことはやってみるまでわかりません。やってみて、研究というものは自分にとっては苦悩と苦難の連続でした。結局、気持ちが折れてしまって大学院をやめました。
この出来事から、ひとつはっきり言えるのは今までの経験として向いていなかった事実は、これからも向いていないってことです。
やりたくないことを決める
ここまで当たり前のことを偉そうに書いてしまったのですが、二つの事柄を合わせて考えると戦略が見えてきます。
- 労働は人間にとって向いていないということ
- 向いていなかった経験は向いていないという事実だということ
さて、「労働を少しはましにする戦略」が見えてこないでしょうか。今までやってきた中で、無理だな嫌だな辛いなって思ったことを極力「避けること」です。やりたくないことはやらない。向いていないとわかったことはやらない。それを徹底する。一般化して、なぜそれは自分がやりたくないのかっていうのをはっきりと言語化する。 その上で条件として、譲歩できる部分、今までできていた部分、評価された部分を加味する。そうして職業を定めていくと、少なくとも自分にとって不利益になることで疲弊することは避けられます。
ちなみに自分のやりたくない仕事リストはこんな感じでした。
- 運動・動作が伴う仕事 - パソコンを使わない仕事 - 論理よりも感情が優先される仕事 - 新しい価値観を柔軟に受け入れない仕事 - 「お金、学び、経験」のどれにもつながらない仕事 - 遊び心がない仕事 - 技術職や現場を大事にしない仕事 - わくわくしない仕事 - 自由がない仕事、何かを制限される仕事 - 非効率なことを強いられる仕事 …etc
こんな感じでいくつも挙げていって、全てクリアすることはあまりないけれど(最後はいくつか妥協して)今の職業につくことを決めました。人生がどう転んでもいいように「嫌なところに転ばない」戦略が必要なんじゃないかなと考えてみたわけですね。いかがでしょうか、意識の低い就活メソッドでした。
最後に
もちろん「やりたい仕事につく」「得意を生かした仕事につく」っていうことを否定しているわけではありません。そのような職業があるのならば、それに就くことを目標にすることはとても素晴らしいことだと思います。 そういった得意ややりたい仕事という一点突破型ではいつかは疲弊してしまうのもまた事実です。一点突破の意思を持つことはこの”意識の低い就活”メソッドの中でも有効に使われると思います。そのような意思があることはあなたの強みであって、嫌なことをただ挙げているよりも選択肢が広がるはずです。
願わくば多くの人が嫌な思いをせずに働ける日が来ると良いですね。